・私の俳句へのきっかけは、25歳のときである。「虎は死んで皮を残すが、
人は死んで何を残すか」という素朴な疑問からであった。世の中に出て,
例えば社長 や専務になろうともそれは一代、二代で名前は忘れ去られて
しまう。
・それならば一生に一句でよいから後世に残る句が出来たらどんなに良いか
と思った。
・或る日、千葉の書店で立ち読みした一冊の本が松尾芭蕉の(奥の細道)で
あった。
「閑さや岩にしみ入る蝉の声」「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」の句に共鳴
し、爾来俳句の虜になり独学で楽しみでいたが、進歩がなく誰かに選評をし
て貰いたいと思い、読売新聞の俳句欄に投句をはじめ、初入選の句(初鴉鳴
きゆき千葉の土匂ふ)が金子兜太選に入り感動した。
・その後、富安風生選(貧乏の厨みがきて注連飾る)石田波郷選「石蕗の花夕日
を海へかえしけり」など次々と入選するようになり、益々俳句への熱が高ま
り、俳誌 (馬酔木) [若葉] [風土] {寒雷} [万緑] (原人)(千鳥)
などの結社に入会し研鑽を重ねて50年、今は俳誌原人の七代目主宰として
会員の指導に当たっている。
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